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オウム真理教の判決に感じること    - 2004.2.27

 「死刑」が、人間が罰せられるべき一番重い刑罰であると考えるならば、このような行為に対して、その判決が出たのは当然だと思う。
 全くの素人考えだが、これまで何となく、「死刑」は、当然であってしかるべき刑罰と思っていた。しかし、今回の判決までの一連の経緯を見て、果たして、死刑が人間にとって一番重い刑罰なのか、わからなくなってきた。「死刑よりもっと重い刑罰があれば…」という遺族の方々の気持ちが何となくわかる。
 判決を受ける者が、亡くなられた方に対して申し訳なく思って、そして、死を選ぶのであれば、それは、償いの一つの方法かもしれない。しかし、何も話すことなく、ただ死刑になって、この世の中から消えていくことが、何の解決になるのか?

 背景にある「社会の責任」ということも考えなくてはいけないだろう。社会が変わらなければ、このような事件が、また、繰り返されるかもしれない。テレビでは、その対策として防護服で訓練している様子が繰り返し放送されていたが、何か違う気がする。むなしい…
 こういう行為に進んでしまう人を作りだした環境に対する責任、エスカレートしていく段階で、ストッパーとなるべき人間が少なかった(?)こと…なども考えなくてはいけないと思う。個々の人間が他人に対して無関心を装う世の中になってしまったことも影響しているかもしれない。

 昔、小・中学生のころ、教室で仲間はずれになる子がいた。別に特定の一人というわけではなく、そういうことは時々おこる。その犠牲となった子たちは今、どうしているだろうか? そういうことがあるのは、子供の世界であるから仕方がない。問題は、大人がどう対処するか?「自分の子がそうならなかったので良かった」と思うか、「そういうこと良くないこと」と正義感を伝えるか? どういう大人が周りにたくさんいるか? そこの対処の仕方で、その後、エスカレートするか否かが決まると思う。そう、きっかけは、本当にごくごく小さな芽で、どこにでもあると思うのだ。たいていは、親、先生、友達、社会…みんなが教えてくれる。

 おそらく、このような行為が始まる前に、今回、この行為に進んだ方々は、みんなそれぞれ、危険信号を発していたと思う。それらが、最悪の偶然によって、進んでしまった…
 政治家やこの事件に直接関係ない私達は、関係者に対する思いやりと同時に、ことさら、この事件の背景にあることを考える必要があると思う。

 我々は、犯罪を犯した人に対して、どのような行動(刑罰など)を求めるべきなのだろうか。刑務所の中のことは、全く知らないので、何ともいえないが、今のように、犯罪者を一定期間あるいは、永久に世の中から消し去るだけで、後に残される者は、何のプラスも受け取ることが出来ない気がする。私達が、不幸を全部背負わなければならなくなってしまう気分だ。
 おそらく大切なのは、「世の中が良くなるため」という考えであり、そのために、どんなことを求めていくかだと思う。
 ある人には、懲役が必要かもしれないし、ある人は、ひょっとしたら、どこか全く違う世界に住んでもらったら大丈夫かもしれない。つきつめれば、人間が人間を裁く限界が見えてくるが、いずれにしても、大切なのは、どのような方法が、罪を犯した人、被害者、第三者としての社会のためになるか、考えること。もちろん、当然、いろいろな人がそう考えて、世の中は動いているはずだが、裁判官だけでなく、多くの人が、このことを考え直す必要があると思う。今回の事件に関していえば、少なくとも「死刑」の二文字で終わらせてはいけない。

 被害者と犯罪を犯した者では、感情的な問題が多く存在するから、第三者が介入して、客観的に罪を認定し、刑罰を決める。すばらしい制度であると思う。
 先人が作ったこの制度をいかにプラスに活用していくか? が大切であり、究極的には、私達は、世の中に起こるすべての事象、それがたとえどんな不幸な出来事であっても、それを、その後、世の中に生き続ける人にとってプラスになるきっかけにしなければならない。その事柄をきっかけに一人一人がよりよい存在にならなくてはいけない。そうなるように、お互い助けあって生きていく。(の)



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