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調子の悪いとき    - 2004.6.18

 世界的に有名なオーケストラ(U.S.A)のトランペット首席奏者のリサイタルが山形であった。時差ぼけのピークらしく、非常に苦労なさっていたが、彼は、最後まで、積極的に攻め続けていた。「すごい」のひとこと。トランペットの場合、一つ一つの音を出すことにかなりのエネルギーを使っているようだから、特に調子の悪いときは大変だ。
 もちろん、テクニックも、音楽も「すばらしい」が、今日の彼の演奏から、何かそれ以上の「気迫」のようなものを感じることができた。人間ならば、誰にでも、波がある。今回、調子の悪いとき、うまくいかないとき、プロは、どうあるべきか? たくさん考えさせられた。
 以下、一般論。 お客様によっては、コンサートは一回限りのことも多い。その調子の悪い1回を聞いたがために、二度と行きたくないと思ってしまうかもしれない? そうなったらどうしよう! ぼくがよく気にしていることだ。クラシック音楽の場合、そこまで、嫌悪感を抱かせる演奏は少ないかもしれないが、少なくとも、お客様自身のクラシック音楽の優先順位は下がってしまうだろう。お客として演奏会に行くと、事情を知らない方の、冷たい「準備不足」「あそこが下手」などという言葉が、帰り道、聞こえてくる。
 裏方事情を知っている自分としては、彼らが、別に手を抜いているわけでないことを良く知っているので複雑な気持ち。演奏者だけの責任ではなく、指揮者の影響、スケジュールの無理など複合的に絡み合っているから。今、プロフェッショナルで活躍している演奏家は、基本的には、オーディションなどの難関をくぐり抜けているのだから、それほど技術的な問題はないはず、と思う。演奏家も人間。いつも、一定水準のはずれのない演奏を聴きたいならば、CDしかない…でも、それでは、生の良さは伝わらない・・・
 結局、演奏家にできることは、いつも手を抜かずに一所懸命やること。
 昔、音楽大学のオーケストラにお手伝いでお伺いしたとき、著名なヴィオラ奏者のH先生が、学生に対して「一所懸命やっていれば、必ず報われるから」と話していたのをなにげなく耳にしたが、そのとき以来、その言葉が離れない。レッスンでお世話になってきたK先生に「ここのこういうところが自分には足りない、こう(いう人のように)なりたい…」と申し上げると、必ずといっていいほど「ないものを目指してもしようがない、自分の持っているものを良くしていきなさい、居直るしかないんだよ」とアドヴァイスを受けたのを思い出す。
 音楽という世界に入ってから、努力では、どうにもならない「何か」を常に感じていたが、ここ数年、事あるごとに、その言葉、そのアドヴァイスを思い出し、「一所懸命」「正しい」ことを突き進めていけば、そう、自分にウソをつかず、常に自分に正直に生きていけば、必ず自分に返ってくるものがあって、さらに、自分に味方してくれる「人」「物」「事柄」…が増える、と信じている。実際、そう実感する。もちろん、うまくいかないことも多いが、そのことに対して、あまり、恐れなくなる。
 話はそれてしまったが、つまり、一所懸命やって、あとは「これが精一杯です」と頭を下げるしかない。それでも、離れていかれるお客様を止めることはできない。そして、ときどき、その全力で立ち向かう気持ちが、お客様の、自分から主体的に楽しもうという気持ちと結びつき、CDでは味わうことのできない、信じられないような空間、すばらしい体験が、演奏会場に生まれるのだろう。(の)



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