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100円ショップに思う    - 2004.9.30

 普段から100円ショップを重宝している。引っ越したときに、台所用品や、風呂関係などなど、たくさん細々とした物を買った。100円ショップのおかげで大分安く済んだ。ところが今日、その100円ショップで、フルトヴェングラーのCDを発見! カルーソーやドミンゴ、パヴァロッティのCDもあった(こちらは200円)。普通のCDは、そこそこの値段で売られているというのに…
 これは果たしてよいことなのだろうか? 大量生産で作られる便利なもの、工業製品には全く抵抗を感じないが、ソフト関係は、複雑な気持ち。CD、DVD、文庫、漫画、パソコンソフトなどなど。中には、歴史的価値のあるものもある。そういうものが、すべて関係なく100円の価値として一緒に並べられることに少々抵抗を感じる。どういう形がよいのか分からないが、例えば、文化的価値のあるものは、図書館などにおいて、専門に勉強する人のためにならば、タダでよいと思うし、一般に売るのであれば、その文化的価値に見合うだけの価格設定というものがあると思う(別に価格=価値ではないと思うが)。そして、その分利益が出るならば、文化振興などに還元すればよい。
 今のままだと、中身に関係なく、そのとき人気のあるものだけが、爆発的に売れて、世の中がじっくり育てていかなければならないもの、利益は出ないが人々が生きていくのに大切なものなどが、どんどん廃れていくような気がする。もちろん「文化的価値」ばかりを大切にすると、うまく行かなくなると思うが…どちらが行き過ぎでも、よくないのではないか?
 確かに「価格破壊」というイミでは、100円ショップの存在は◎。世の中を良くしようという気持ちが感じられた。でも、ここまでやってしまうと、「?」が付く。知らず知らずに精神的に我々を支えてくれている様々な歴史的価値のあるもの、そこまではいかなくとも、人々のそれなりの「努力」によって生まれたものに対して、それなりの評価をしないと、結局、自分達の心が廃れてしまい、将来に希望が持てなくなっていくような気がする。自分に置き換えれば、100円でフルトヴェングラーの「運命」のCDを買った人に、入場料5000円の生のコンサートで、どういう「運命」を聞いていただくのがよいのか? いろいろ考えさせられる。(の)



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